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現代語訳『三州奇談』 その24「大乗垂戒」(巻之四)

現代語訳『三州奇談』 その24「大乗垂戒」(巻之四)

 

堀麦水による『三州奇談』は、近世中期に成立した加越能の奇談集である。

今回はその24「大乗垂戒」(巻之四)の現代語訳である。

 

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 [訳]

東光山大乗寺は、曹洞宗の寺であり、わが国で第一の旧跡である。代々の名僧の道と徳とは、すぐれたものであった。一夜の写巻、白山の霊水などの奇談は言うまでもないことで、いちいち数えきれない。

以前、この寺は真言宗であったが、富樫家の後押しにより禅寺になったという。それゆえ代々富樫一族が帰依し深い信仰により大旦那であったが、天正の乱で絶えてしまい、現在は本多家を旦那としている。

 

ところで、さほど遠くない昔、本多房州公の家中何某の家で、あるとき、茶碗がひとつ飛びまわって歩いたので、誰もが不審に思い厳重に箱におさめた。次の日から、あるいは煙草盆がその時空を飛び、茶釜が二尺ほど飛び上がり、あるいは擂粉木・擂鉢、また大根・冬瓜などが踊り狂ったので、家中一門はあきれかえり、加持祈祷陰陽をする山伏を呼ぶなどしていろいろ尽くしたが全然やまなかった。

 

本多家に尼がいて、この大乗寺に詣でこの事を祈願した。その頃の山主卍山和尚がたちどころに一偈を書いて与えた。

燗冬瓜興破砂盆 一念動時跳且奔 畢竟幻縁何足窺 但須回頭照心源

これを壁にかけると、この怪異はずっと止んだという。

 

また越後に上杉謙信がいたころ、美濃国の浪人平野甚右衛門という武士が、以前に出陣する前日、妻に向かって、私は明日討死すると思い定めたので、お前には暇をやろうといった。すると妻が言うには、妻子のことを気にかけて遅れをとることもあろう、武を第一に考えることは道理にかなっているが、いま私が子供を二人もってどこの国に隠れていることができようか、討ち死にしようと覚悟を決めたのであれば、まず私を殺してから出陣なさいましといった。

それを聞き夫はかたじけなく思い、もしそうなら二人の幼子は越中勝興寺に師檀の関係があるのでお願いすることにして、とうとう妻を刺し殺した。

 

さて翌日戦場にでかけたがその戦いは話し合いで解決したので、討死するもことなく、むなしく帰ってきたのであったが、その夜から妻の幽霊が夢に出て、嘆きや恨みをいいつのった。困った甚右衛門は、越中勝興寺の家中にいることにしたが、妻の幽霊はなおも出てきて悩ませ続けた。そのあと加賀の尾山城の城主に頼んでそのもとにいたが、なお霊魂がきて悩ませた。そのことを、いろんな人に話したが、どうすることもできなかった。

 

その頃大乗寺の隠居大智禅師は、道と徳にすぐれた人だった。ここを頼って参上し、くだんのこと話すと、和尚は一偈をしめしていった。

柵や茄子踏翻去 無数蝦蟇来乞命

 

この言葉を念頭にして訓戒があり、甚右衛門もその意味が分かったので、その夜から亡霊が二度と出ることがなかった。

 

その後、佐久間玄蕃盛政が尾山城を攻撃した時、広済寺・本源寺に命じて防戦したが、この平野甚右衛門が著しい武勇を発揮し、盛政の先陣を三度まで追払い、華々しく戦って戦死したという。

今、金沢城の西にある下り坂を、甚右衛門坂というのは、かれが討死した場所故だという。

 

 

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この「大乗垂戒」にある大乗寺にまつわる奇談は、あまり語られることがないようである。

今も金沢城には「甚右衛門坂」の名が残っている。