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現代語訳『三州奇談』その18 「家狗の霊妙」(巻之四)

現代語訳『三州奇談』その18 「家狗の霊妙」(巻之四)

 

堀麦水による『三州奇談』は、近世中期に成立した加越能の奇談集である。今回はその18「家狗の霊妙」(巻之四)の現代語訳である。これは人間とともにある犬にまつわる奇談である。

 

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[訳]

犬には三種類がある。長く突き出た口をもち猟が得意な犬を走狗といい、顎が短くよく留守番をする犬を吠狗といい、よく太って食用にするのを食狗という。犬は孕んで三月で子を産む。

良犬は神に通じて龍に形を変えるというが、こんな話がある。

 

浅野川に近い茶臼山(卯辰山)の麓に、田原喜兵衛という成瀬氏の家士が住んでいた。この家の外で白犬が子を産んだので、育てたことがあった。

さてある夜、白い着物を着た人がやってきて言った。このうしろの山ががけ崩れとなり、このあたりに近々きっと泥水が押し寄せる日がある、速くここを立ち退きなさい、私は御恩を受けたので知らせに来たのです、白い着物の人はこう妻の夢のなかではっきり言った。

 

すぐに起きて不思議に思っているところへ、夫の喜兵衛が屋敷から急いで帰り、真っ先に犬のことを尋ねた。妻はなぜそのようなことを聞くのかと聞くと、この犬は屋敷へ来たことはなかったが、夜になる前にやってきて、しきりに吠えるので出てゆくと、裾を引っ張って外に出ろというようであったので、いそいで帰ってきたのだと言った。妻は驚いて、私はこんな夢を見たと話しをした。夫婦ともに立ち退いたのは、十二月二十二日だった。

 

翌日の朝六時頃(申の刻)、茶臼山が崩れて浅野川を堰き止め、隣の塚本左内の家など八十五軒が下敷きとなり、亡くなった者は男女三十余人もあった。この水により材木町まで泥水で浸かったので、藩は茨木左太夫・生駒萬兵衛に命じてこの復旧をさせ、毎日人夫千人を使い、翌年春に復旧しもとのようになった。

 

次の話である。享保の末(一七四一~四三)、近江町の長兵衛という京通いの者が、夜中に手取川の粟生の河原を通ったとき、白犬が一匹まつわりついてきた。振りはなしたが、なおも寄ってきた。これは喉にものが刺さったのかなと思い、口の中に指をいれ、大きな骨を抜き取って、懐中の兼康みがき砂をぬってやると、犬は悦んで寺井までついてきて別れた。その後、長兵衛が粟生を通るときは昼夜を問わず、この犬があらわれ、手取川の間の難所をついてきた。こんなことが何年かは続いたと長兵衛は話していた。

 

また別の話である。寛永(一六二四~四三)の頃、田町に中村長太郎という男が、一匹の黒犬を飼っていた。力も知恵もあり、狐狸の類を多く捕えて楽しんでいた。その上、友人の住んでいるところをよく覚えていて、書状をいれた小箱を首に結わえてやると、必ず返書をもち帰ったものだ。

ある時、狼がきて子供を傷つけ、家の周辺を走ったりしたので、付近の人はみな恐れていた。狼はこの田町の町中まで入ってくることがあったが、そんな時この黒犬が踊りでて大いに噛みあい戦った。夜中のことで人が出て助けなかったせいか、犬は噛み殺されていた。しかし狼が道で死んでいるのもみつかり、この犬はまことによく戦ったのだ。 

 

さらに寛文の頃(一六六一~七二)の話がある。三代藩主・前田利常が猟のため飼っていた唐犬は並はずれた力もちであった。犬引きといえども、ややもすればもてあまし、人にけがをさせたこともあった。ある日、大豆田河原で、この犬が綱を切り駈けだしたので、近くの人は逃げ惑った。犬は血眼になって狂ったように暴れ、まっすぐに増泉の里に逃げていった。

 

そこには二歳ばかりの子供が草の上に寝ていたが、笑って起き上がり、この唐犬に向かうと、犬は尾を振って、おとなしくこの子の横にいた。そこへ犬引き達は大勢で走ってきて犬を捕まえ帰っていった。

 

子供の父母は死んだ者が蘇ったような気持であった。ある人がいうには、生れて百日以内の子供がいると、泥棒も家に入ることができないと聞いたが、このこともそれに似通っていると思った。

これを大乗寺の月舟和尚に尋ねると、もったいないことだ、これは禅機の第一義、悉有仏性如来心ということであると教えられたという。

 

 

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以上が「家狗の霊妙」(巻之四)である。

この中に手取川の難所を道案内してくれた犬の話があり、そこに「懐中の兼康みがき砂」というくだりがある。兼康というのは、江戸時代、江戸本郷にあった歯磨き粉、歯痛の薬を売った店で、現在は洋品店である。「本郷も兼康までは江戸の内」などともいわれたのはこの店である。

『三州奇談』の編著者、堀麦水は江戸にも出たことがあった。

 

 兼康みがき砂―江戸時代前期の医師。歯科医のかたわら,元和(げんな)3年(1617)江戸本郷に店をだし,歯磨き粉を処方した。江戸時代、江戸本郷にあって歯磨き粉、歯痛の薬を売った店。現在は洋品店。

「御府内備考‐三三」に「本郷三丁目〈略〉町内東側北木戸際同所四丁目両町境横町を里俗兼康横町と相唱申候。尤右横町角に兼康友悦と申口中医師、享保年中当所にて乳香散と申歯磨売初罷在候に付、右様相唱申候」とあり、「本郷も兼康までは江戸の内」などともいわれた。