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現代語訳『三州奇談』 その10「高雄の隠鬼」

現代語訳『三州奇談』 その10「高雄の隠鬼」

 

堀麦水の『三州奇談』は、近世中期に成立した加越能の奇談集である。
今回はその10「高雄の隠鬼」(巻之三)の現代語訳である。

 

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[訳]
高尾山は富樫政親の城跡で、その麓には四十万の里があり、後は黒壁といって、今も人をたぶらかす魔物が住む所としいわれ、日が傾くころになると樵も近づかない。黒壁には数百丈の絶壁に不動尊が刻まれており、それは人の技でできるものではない。
ここでは芝を刈り、落ち葉を集めているうちに異人にであい、時々命を落とすものがある。

 

高尾山には、また不思議なひとだまがでて、これを里の者は坊主火という。狩人が古狸の大入道となって以来、このひとだまがなくなったということがいわれることもあるが、今もなお、このあたりでは海辺までひとだまが飛ぶことが絶えない。これがどういうことであるのかは、誰もわからない。

 

ある人がこの山について言うには、山上には穴が多く、間違って落ちた時には、近くの道に来る人を呼び止めて、縄を下してもらって上がるという。

 

たまたま人通りがない日に落ちてしまった者があった。穴の中にまた小さな横穴があったので、しかたなくこれを進んで行くと、十日ばかりもかかって闇の中をくぐりぬけて、越中と飛騨の国境、庄川の岸の絶壁にでたものがあった。

 

やがて金沢に帰ってきたが、あの世からよみがえった者のようになっており、何があったのかを尋ねてみたが、ただ闇の中を歩き回ったというばかりで、ほかにこれといった話はなかった。これも不思議な事である。

 

この麓は四十万という村である。浄土真宗の道場があり、善性寺という。このあたりの大寺で蓮如上人の旧跡である。


この寺の後ろに大木があり、中が空洞になった大樹があった。およそ三十人ばかりを中に隠すことができる。近年乞食が住みついて火を焚いたので、木は枯れてしまった。付近に人家はそんなに多くはない。天正の頃の戦地として名高いところである。

 


享保年間、金沢浅野川下流に弥助という猟師がいた。弥助は、いつも朝の霧を払って山野を走りまわり猟をして、日が沈んでか家に帰る暮らしをしていた。いかに職業としてやっていることとはいえ、朝な夕なにものの命を絶ち、自分の電光朝露のようにはかない身を愛するばかりで、来世での永劫の罪を恐れなかった。

 

堪えがたい暑さもいつしか秋風にかわり、文月の魂祭りの頃となった。今日は十三日で、とりわけ大事な先祖を待つ日・盂蘭盆であった。身分に関わりなく家ごとに灯をともし、香花を供え読経をして追善する日であるのに、この弥助はそれどころか、今朝も猟に出かけた。起きる時間を間違って窪の橋にかかるころは、まだ午前二時頃だった。

 

月は明るく西の空にかかり、雲が気のめいるようにかかり、さびしげな猿の叫び声が遠くに聞こえ、松風の音だけがして、橋の上には人の声はなかった。


向こうの方を見ると、左には高尾山の麓が、右は小松が群れ立ってほの暗かったが、そこに年のほどなら四十ばかりの女と、もう一人十八,九と見える女が白い衣をつけ、長い髪を乱して、往来の傍らに座りこんでさめざめと泣いているではないか。弥助は怪しいと思ったが、帰り道ではなかったので、恐る恐る近づいて、何者であるかと問いかけたが、それには何も答えなかった。


弥助はすこし足早にそこを通り過ぎ振りかえってみると、間近まで追いかけてくるので、やむを得ず額谷をも走り過ぎ、知り合いである四十万の里の道場にやっとのことで逃げ込んだ。しかしここまで追ってきたはずの女は跡形もなかった。

 

夜が明けて里の人に以上のことを話すと、「そんなことがありました。毎年七月十三日になると、必ずそのような女がでて、出くわす人が少なくありません。古老が言うには、昔鏑木六郎右衛門というものが松任の城にいた時、一揆のために一門が悉く滅ぼされてしまいました。この道場・善性寺の先祖は法教坊といって、一揆方にあってその戦いにかかわっていました。このためかの鏑木の妻の怨念があって、いまもこの寺に来るのではなかろうか、くだんの女はこのため、出てくるのではないかと里人は語った。

 


話変わって、これも享保の頃、加賀の医師奥田宗伝という人が、ある夜松任に往診があって駕籠を走らせていた。その帰りは夜半過ぎとなったが、路の脇に七、八人が並んでおり、駕籠を用意しており、宗伝の駕籠を押しとどめてこう言った。

 

「我らは四十万村の何某という者ですが、老父が急病にかかって、今夜にもどうかという状態となっています。お宅までお迎えに伺ったところ、松任にお出かけとのことで、すぐにそちらへ迎えに行ってくださいと言われましたので、ここまでやってきたわけです。


そんなわけで申し訳ありませんが、これからすぐこの駕籠にお乗りになって、回診して下さいとひたすらにお願いした。宗伝が見知っている人ではなかったが、医は仁術を旨とする医師であるので、聞き捨てることもできず、松任の人は帰して、彼らの駕籠に乗り換えて、四十万の方に向かった。

 

さて四十万村に着いたが、今思うと怪しいことが多くあった。日頃は見かけない大きな家、いかにも庄屋と思われる家に入った。


そこには多くの男女が騒々しく動きまわっており、いくつもある部屋の一番奥が明るく輝いていた。そこが病人のいる部屋で、寝床の臭気は耐えられないほどであった。

寝ている男は六十ほどで、丸々と太った親父であった。男の顔は絹の布で包んであり見えなかった。脈をとってみるとたいそう早く、刀などの金属で受けた傷の類と思われた。


きっと、自殺をしそこなった者に違いないと思い、これは外科医の分野であるのでと、わずかに貼り薬を与えただけであった。
宗伝が金沢の家に戻った時はまだその日の夜のうちであった。駕籠かきや付き添いの者は懇ろにお礼を言って帰ったが、衣服に着いた臭気は長い間消えなかった。

 

奥田氏はその翌日、お礼の人が来なかったので、疑いが晴れなかった。そこで人に頼んで様子を聞いてもらったが、四十万にはそのような病人はおらず、そのような家もないということだった。

 

奥田宗伝は、狐狸に化かされた一件を、ことあるごとに得意そうに話すのだった。

 

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「高雄の隠鬼」(巻之三)は、金沢城下の南東の地域に伝わる奇談の数々である。
これは『三州奇談』濃縮したような一編で、多彩なかたちの不思議を味わうことができる。