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漱石とイリアス

 漱石とイリアス

 

 10年ほど前に、金沢大学のゼミで、8人の学生とともに半年間、ホメロスの『イリアス』を読んだことがあります。先生はギリシア文学の翻訳もされている安村典子教授(当時)でした。

 

 それまでに『イリアス』を読んだことはありましたが、普通の小説と同様に読み流した程度でしたので、本当の面白さを感じることはできていませんでした。

 

 それは本来の学生時代を含めて、もっとも充実した記憶に残る授業でした。
最後に10問の筆記試験がありましたが、久方ぶりのテストに、頭を振り絞って書いた答案を思い出します。

 

 同時に、短いレポート提出を求められました。
そのとき、ふと漱石と『イリアス』の関係が浮かんだのです。

 

 漱石は『文学論』ほかで『イリアス』について言及していますので、読んでいたことは確かです。しかし漱石の時代には、『イリアス』の日本語に翻訳したものは、まだなかったのではないか、そうであればイギリス留学中に英語版で読んだ可能性はないか、などと想像して、レポートにしたのです。

 

 漱石と『イリアス』について考察した論文には、まだお目にかかっていませんが、漱石好きの一人としては、漱石がイリアスをどのように考えていたかは、大変に興味あるところです。


 あるいは、そんな研究の所在をご存知の方があるかもしれません。ご一報くださるとありがたいのですが―

 

 今回のブログは、その時の短いレポートを掲載します。本人も忘れてしまったこと、言葉足らずのところがありますが、そのままの形でのせることにしました。

 

 以下は、そのレポートのブログ版です。

 

 

ブログ版  漱石と『イリアス』

 

 夏目漱石は明治三十三年イギリスに留学し、帰国後東京帝国大学で英文学の教師をつとめ、その後は作家としての道を歩んだ。

  当時、明治の日本はしゃにむに西洋化を推進していた。その西洋の中心はイギリスであり、さらにつきつめていえば、西洋の歴史はギリシアの歴史ということができる。

 

 日本の代表として漱石はそのイギリスで英文学を吸収しようとつとめたが、同時にギリシア文化にも接していたであろう。このことは、漱石が大学で行った講義概要「文学論」「文学評論」と「小説・小品」の双方で確認することがでる。


 私達はそれを論文と小説の硬軟両面からみることができるのである。「イリアス」やギリシアに関する記述は漱石全集の総索引を調べてみてもきわめて多く、関心の高さを示している。

 

 「イリアス」と漱石についての考察にあたって、はじめに漱石が読んだ「イリアス」はどんな本であったのであろうか。

 

「文学評論」によるとイギリスの詩人アレキサンダー・ポープが千七百二十年に「イリヤッド」を翻訳したことが示されている。この翻訳によりポープは大金を手に入れ一生安楽に暮らすことができたとのエピソードもあり、当時のイギリスでのイリアス人気を伺うことができる。

 

 漱石は主として十八世紀の英文学を研究しており、ポープに関しても詳しく批評していることからも、このポープの英文の翻訳版を目にした可能性が高いといえよう。
 
 さて、漱石がイリアスの主題をどのようにとらえていたかは重要なポイントだが、物語の冒頭について次のように述べている。

 

 「これ人の知る如くポープの英訳イリアッド巻頭の一句なり。最初より詩神に呼びかけてアキレスの憤怒を歌はんと欲する者にして、即ち此詩二十四巻を貫く大眼目は全く此英雄の怒にあることを広告したるに外ならず。万古不易と称せられたるイリアッドは怒の筋を以て成立すと云ふて不可なきなり」。

 

 漱石はあたかも、トロイア戦争をめぐる伝承を知悉していた古代ギリシア人聴衆が吟遊詩人の語りだしたのを楽しむように、自然にその本質をよどみなくずばりと言ってのけている。

 

 漱石が物語中の記述方法について批評しているところがある。「誇大法」という項目では、五巻、ディオメデスに刺されたアレスがあげた悲鳴の場面を取り上げた。

 

「神なれば九千人前の大音声も一万人分の怒号もただ想像し得るの便宜多き叙法を真とする外はあるべからず(中略)誇大にしたるが為め描写に生命を賦し得たりとせばー」と、これは肯定しているが、このあたりはすっとそのまま読める部分であり、批評はすこし重過ぎ、時代の差を感じざるをえない。

 

 ついで八巻。戦闘二日目、ゼウスはオリュンポスで会議を催し神々に戦への介入を禁じたあと、馬に乗り一気にイデ山の頂に至り人間世界を見物する場面に関してである。

 

「面白く出来てゐる。滑稽と思ふのは悪い。神は神で明らかな神である。自然を借りなければ万事行動の出来ぬ神である。人間が霊に近づいて神になったと云はんよりは、神が退化して人間になったと評する方が妥当である。人間が神と兄弟分であるかの如き感がある」。

 

 じつはこの部分は漱石が超自然について論じているところである。神でも幽霊でも弁天様でも何でも建立して不思議にして好いが、遂に神秘にはならず、荘厳、畏怖の感を起こすべき筈なのに、それがかえって滑稽の念になってしまうことがしばしばある、と強調している。あまりに人間らしい神は許せないというのである。

 

 神は不死であり人間は死すべきもの、「イリアス」の神は、原則的にはまさしくこのような存在なのである。ではあるがこの叙事詩の世界では、神と人との距離がことのほか近く、「畏怖」の念というより「驚嘆」の意識で人は神に対する。

神といえども思いのままにはならない限界があり、神は無論のこと、人にも主体性がある。

 

「イリアスの」神は、無慈悲で喜劇的でさえある。このような点が漱石には納得できず、神は徹底的にそれらしくとの思いが確固として根本にあった。これは現代との宗教観、倫理観の違いによるものであろう。

 

 この違いが私達にとって幸せであるかというと、これは疑問である。「汝自身を知れ」との言葉を時々は思い出したい。ただし「イリアス」を読むことに限っていえば、いま現在の私達の自由な読み方は、何ものにも変えがたい愉悦をおぼえる。漱石もこのような読みをすれば、あの「不愉快」も少しは緩和したかも知れぬ。

 

 以上のこととの関連である。「イリアス」には、ゼウスをはじめとしていろいろな神々が登場するが、ゼウスといえども絶対的な存在ではない。ヘレやアテネにしばしば反抗される。これは神々の世界にもその時々の力関係があり、抗争があることによるのである。

 

 神話には征服民族と被征服民族にかかわる歴史が内包されているのである。ギリシアの場合、いわゆる「暗黒時代」、またはそれ以前の民間伝承が形を変えつつ伝えられたのである。

 

 神々の世界についてのこのような考え方は、日本でも同様であり、それは柳田民俗学が世に出て以来のことである。神をこのような形で認識することは漱石の時代にはなかった。したがって漱石の指摘に異を唱えるものではない。

 

 神についての違和感はあったが、漱石は「イリアス」を偉大な物語として読んだであろう。次のようにも述べている。

 

 「其イリアッドが矢張り現代の人に読み得る所、読んで面白い所、拍案の概がある所、浪漫的な所が少なくはなからうと思ふ」と。

 

 大いに意気あがる二十二巻・アキレウスとヘクトルの一騎打ちに至るまでの、たとえば六巻のヘクトルとアンドロマケの別れのシーン、九巻で竪琴を弾き歌うアキレウスの孤独と崇高さ、十六巻のパトロクレイアなど、緩急と硬軟織り交ぜた物語の展開には、漱石も興味深げだったと受けとっておきたい。

 

 漱石といえば「猫」であるが、「犬」も飼ったことがある。弱虫で人懐っこい犬であった。子供達に犬に名前をつけてくれとせがまれた漱石は、「とうとうヘクトーという偉い名を、この子供たちの朋友に与えた。それはイリアッドに出てくるトロイ一の勇将の名前であった」。
小品「硝子戸の中」に漱石はこんな話を書きのこしているのである。
                

参考文献
「イリアス」 ホメロス 上・下
    松平千秋訳 岩波書店 1992
「イーリアス」ギリシア英雄叙事詩の世界
     川島重成 岩波書店 1991
「夏目漱石全集」  岩波書店 1993
「聖と俗」 ミルチャ・エリアーデ
       法政大学出版局 1969

 

漱石と『イリアス』については以上です。
枚数が限られていたレポートなので、十分に言いつくしてはいないところがあります。
ただ、ここでは漱石がイリアスをどうとらえていたかという問題を提起することができたかと考えています。
そのような研究があれば、ぜひとも読んでみたいと思っています。

お読みいただき、ありがとうございました。