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現代語訳『三州奇談』 その6「玄門の巨佛」― 下

現代語訳『三州奇談』 その6「玄門の巨佛」― 下

 

堀麦水の『三州奇談』は、近世中期に成立した加越能の奇談集である。

これまでに5話の現代語訳を紹介したが、今回はその6「玄門の巨佛」(巻之四)の後半・下の現代語訳であり、玄門寺の大仏にまつわる伝承である。


これは二つの話からなっており、原文ではこれを一話として続けて掲載しているが、ここでは上・下に分けて紹介、これはその下である。

 

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[訳]
金沢卯辰山、観音院の麓に玄門寺という浄土宗の寺院がある。宝暦の頃(一七五一‐一七六三)、この寺の和尚は重病で医者もさじを投げて、死を待つばかりであった。


この寺に順生坊という出家がおり、丈六の阿弥陀仏を寄進し仏道にはげんでいた。順生はその巨佛の前に端座して、夜通し一心に和尚の病気平癒を祈った。翌朝巨佛を見上げると、顔に汗を流していた。


これを聞いた人々が大勢集まってきて、門前は市のようになって、みな怪しく不思議なことだという思いをした。ほどなく和尚の病気は回復し、人々は巨佛の霊験をたたえた。順生坊のまことの信心が仏に通じたのであろう。

 

そもそもこの順生坊は、越中小杉の生まれで、むかしは六十六部の修行者だった。勧進の途中、能登国深谷の明泉寺を訪ねたことがあった。寺には壊れた古仏が数多くあったが、どれもありがたい仏で、その頭部をひとつもらい受け、丈六仏を建立しようと心に決め勧進して歩いた。

 

やがて順生坊は故郷小杉の修業した寺に戻り、願いがかなって仏像が完成したなら、ここに安置したいと願いでた。和尚は、「昔上杉謙信が越中に乱入した時、軍兵がこの寺に入り丈六仏をさんざんに破却した。それをみた謙信は情けないことをしたものだと嘆き悲しみ、もし自分がこの国を手に入れることができたなら、真っ先にこの諸仏を補修しよう、もし短命に終わったなら、今後再建しようとする者は私の生まれ変わりだと知るべきである、といったと伝えられている。ゆえにそなたは謙信の生まれ変わりだ」と、和尚は順生坊の申し出を承知した。


しかし寺の旦那衆は、そのような大仏を造立すれば、後々まで修復の費用がかかって村の負担となり、ひいては寺の荒廃につながる原因となってしまう、ここに安置することはまかりならぬと反対したので、和尚と順生は心ならずも従うほかなかった。

 

その後順生坊は金沢に出てきて玄門寺境内に九間四面の御堂を建立し、補修し終えた大佛を安置し祀り、堂内を荘厳した。この辺りであったたびたび火災にも、寺は四面を土で塗り固めた土蔵造りであったので、延焼することもなく城下の立派な寺として信仰を集めている。順生坊は限りない道心者であったので、檀家に負担をかけないよう、およそ三十年の間に数千金のお金を勧進して、このような事業を成し遂げたのである。


順生坊は、まことに上杉謙信の生まれ変わりといっていいだろう。伝え聞くところによると、時正という道心者は生まれ変わって北条時政となり、九代にわたる権勢の礎をつくった。


一方、越後の英雄の謙信は道心者に生まれ変わり、如来の慈悲の恩に尽くし仏道に励んだ。権威を持つことと、仏道を極めること、このどちらがありがたいのか、見識ある具眼の者は知っておくべきである。

 

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話は以上である。①順生が発願した玄門寺巨佛の顕した霊験(代受苦)、②順生が六十六部の勧進僧であり、かつ上杉謙信の生まれ変わりだとされたことが語られている。


参考に、以下をあげておく。
〈身代わり・代受苦〉
玄門寺創建から百年ほど後宝暦年間(1751~1763)、汗をかき病気を治した大仏の霊験譚が生まれた。大仏は和尚の病気を自らが引き受けたのである。汗を流した大仏を多くの人びとが拝みに訪れ、奇異の思いにとらわれたという。順生の仏心で大仏は霊験を顕したのであり、順生による病人加持でもあった。これは玄門寺の縁起に組みこまれたのであろう。これは阿弥陀如来による身代りである。身代りとは仏・菩薩が人間に代わって苦難を引き受けてくれる信仰で、地蔵・観音・不動などにある。

〈六十六部〉
六十六部は六部ともいい、法華経を書写して全国六十六の霊場に納めて廻る行脚僧であった。江戸時代には仏像を背負って、鉦や鈴を鳴らして米銭を請い歩いた者である。勧進聖・勧化と同様のなりわいであり、社寺や仏像の建立修理などのため金品の寄付を募ったが、勧進を名目として出家姿の乞食僧も目立った。東大寺の建立および再建のため勧進した行基や重源が知られるが、これとは別に物貰いや押し売りをする者もいた。罪を犯したものが六十六部となり、滅罪のため諸国を巡ることもあった。

〈時政の生まれ変わり〉
生まれ変わりの謙信と北条氏を対比させる場面がある 。まず「時正という道心者は、後身北条時政となりて、九代の権威を振ひし」とし、時正の生まれ変わりが時政であることをしめす。これは北条四郎時政が江の島に参籠し子孫の繁栄を祈っていたとき、「汝が前世は六十六部であり、その善根によってこの国に生まれることができ、子孫は栄華を誇るだろう。しかしその行いが天道を外れれば七代以上は続かない」との託宣があったことを指している(『太平記』巻之五「榎嶋弁財天」)。