コーヒーと嗅覚
いつもの店でコーヒー豆を挽いたのを買ってきた。
金沢市内に数店出しているキャラバンサライという専門店の武蔵店、近江町いちば館の地下にある店に行った。
外出は控えているが、コーヒーがなくなったので、なしでは済ませない。
豆の種類に、「近江町」、「加賀美人」、「金沢物語」といったユニークな名前を付けている。以前は「金沢物語」だったが最近は、「城下町」か「近江町」にしている。
酸味の少ないのが好きだが、私の味覚は当てにはならない。
嗅覚が相当減退していて、ものの匂いをあまり感じることができないのだ。
昨今では、新型コロナウイルスに感染した兆候として、嗅覚が衰えることがあげられている。私の場合は、匂いがわからないのは、10年以上も前、いや30年来のことかもしれない。
こんな症状の病気で、手術した友人がいるが、その後具合が良くなったといっており、是非にと手術を勧められたが、なかなかその気にはならない。
匂いがあまりしないことになれてしまうと、格別の不具合を感じないからである。わるい事ばかりでなく、嫌な臭いも分からないのもいい。
味覚は匂いとの関係が深いらしい。
したがってうまいものを食べていても鈍感で、よくわからないことがある。せっかくのごちそうを、といわれそうであるが、それは視覚でカバーしているつもりである。
コーヒーは茶、酒、たばこなどとともに嗜好品といわれる。
これらは栄養分を期待するのでなく、人間の味覚、聴覚、嗅覚、視覚に快感を覚えるものである。
このうちの嗅覚を奪われ、それにつれえて味覚が鈍っているので、聴覚と視覚を懸命に働かせている。
したがってコーヒーは、どうせ味がわからないのなら何でもいいのかというとそうではない。コーヒーもおいしくいただくため、いれ歩合に注意して丁寧にやっているつもりだ。豆にもこだわっていたい。
キャラバンサライという店名もいいし、ラクダのロゴマークもいい。
店もこじんまりとして、コーヒー一色になっているのもいい。
どこを切り取ってもとっても絵になる店で、これも味のうちだ。
1か月半に1度くらいこの店を訪ねるのが楽しみである。