はてな版  金沢と『三州奇談』  

金沢と『三州奇談』の雑記帳   ki-dan.com

せめて、県境を越えた旅に出たい

県境を越えて旅に出たい

 

年に1,2度は、東京と関西(京都か奈良)に出かけるのが楽しみでした。
リタイア後は、だいたいそのように旅行をしてきました。

 

それがー
このような状況になってしまって、どこにも出かけることができないとなると、どうしようもない寂しさに襲われてなりません。

実際に出かけるのは、年に数回でも、いざ行けないとなると、どこに行こうかと考える空想の世界さえも奪われてしまった感じになってしまいました。

 

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内田百閒の『第一阿房列車』をながめてみました。

そこには、こんなことが書いてありました。

「行きたくないところが東京の近くに三つある。箱根と江の島と日光と、この三か所だけは避けたい。(略)箱根、江ノ島、日光に限ったことではない。ただ、そういう所は、人がみんな行くから気になるだけの話で、人のことなぞ考えないことにすれば、取り立て言うほどのことはない」

「一切誰でも知っていることを、自分が知らないというのを自慢らしく考えるのは、愚の至りである。そうは思うけれど、人が大勢行く所にへ行きそびれて、そのまま年が経つと、なんとなく意地になる。そんなところへ誰が行くものかと思う」

 


実際、百閒はそうした観光地に行ったことがなかったらしく、友人との会話に参加できなくても、いまさら誰が行ってやるかと思っていたらしいのです。

漱石の「坊ちゃん」に主人公が箱根を越えたことがないことを強がっていた描写があったようなことを連想しました。

漱石の弟子として百閒も「てやんでえ」というところがあったのでしょう。ただし、江戸っ子の漱石とは違って、百閒は岡山生まれなのでニュアンスは違うのでしょうが。

 

私は箱根、江ノ島、日光に行ったことはありますが、もう行きたくはないなとー

 

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この百閒の言葉を読んで、旅について少し考えました。
人々が一斉に観光地に集まる所より、ひっそりとした田舎に向かってみるのもいいなと。

「人の行く裏に道あり花の山」というところでしょうか。おっと、これは証券界の用語だったように思います。これでは心静かにとはいきそうにありません。昨今の株式市場をみていると、ジェットコースターのように上下し、やっている人は生きた心地がしないでしょう。


閑話休題―そうだ、寅さんが商売に歩いた地方の山川の風景は、みな趣きがあった、昭和の中頃までの空気に触れてみようかと。
そんな風景も大方はなくなってしまった、どこに行けば昭和に出あえるのだろうか。


こんな物思いにふけってみました。
ところが、ふと我に返ってみると現実は厳しく、コロナ禍のため、どこにも行くことができないのです。

ぜいたくはいわない、せめて、気軽に県境を越えて旅がしてみたいと、つくづく思います。