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『神々の明治維新』

『神々の明治維新』

 

安丸良夫『神々の明治維新』(岩波新書)を読みました。
これまでに数回読んだのですが、また読んでしまいました。
漱石の作品ほどではありませんが、時々手にとってみたくなります。

 

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この本の「そで」には、こう書かれています。


維新政権が打ちだした神仏分離の政策と、仏教や民俗信仰などに対して全国に猛威をふるった熱狂的な排斥運動は、変革期にありがちな一時的な逸脱にすぎないように見える。が、その過程を経て日本人の精神史的伝統は一大転換をとげた。日本人の精神構造を深く規定している明治初年の国家と宗教をめぐる問題状況を克明に描き出す。


著者である安丸良夫は、明治の初めの神仏分離について、具体的な事柄を詳細にとりあげて、克明に述べており、名著だと思います。
ここにある情報量は、普通の新書の数倍にのぼるものと思います。

とにかく、量的にも内容もすごいの一言、それがまた実に面白いのです。当時行われたことで、今では信じられない事件がつぎからつぎへと出てきます。


その中で、次の点をとりあげておきます。

① 江戸時代に仏教が国民的規模で受容され、仏教職に塗りつぶされたの権
力による庇護のためだけではなかった。
そこには、仏教と祖霊祭祀の結びつきがあり、これを集約的に表現するのが仏壇の成立であった。農村でも都市でも、家の自立化が家ごとの祖霊祭祀を呼び起こし、それが仏教と結びついた。

② 第二は、多様な現世利益的祈祷と仏教の結びつきである。観音・地蔵・
薬師などはその代表的なものである。それらは多様に分化した機能神として、民衆の願望にこたえるようになった。

神仏分離が行われた背景には、仏教的に以上のような背景があったことをおさえておく必要があります。


ここにはキリスト教に対する問題も絡んできますが、なにより各地方での真宗寺院の生命力の強さには驚きます。


一向宗の村では、氏神のないことを「誉レ」とする場合さえあったことも驚きです。そもそも氏神のない村があったのです。

 

各地域の状況を個別にみるところで、お隣りの富山藩の廃仏毀釈は、とりわけ激しいものでした。領内313の寺を、各宗派ごとに1つの寺にまとめ、計8ケ寺に統合するというすさまじいものでした。
富山藩は真宗の盛んな地域で、計248の寺があり、僧侶と家族が1200人余がいたのですが、これが一つの寺にまとめられてしまったのです。

ここにおいても両本願寺への働きかけなどがあって廃合寺は撤回され、政策は失敗に終わったのですが、すべての寺院がすぐに復活することはなかったのです。


情報がぎっしり詰まっていますが、読みづらくはなく、神仏分離について細部にわたるまで知ることができる一冊といえます。男性的な筆致という感じです。

 

岩波新書の黒田俊雄『寺社勢力』と同じく、武骨な骨太の本として愛読しています。