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永井荷風の『日和下駄』

永井荷風の『日和下駄』

 

先ごろ永井荷風の『日和下駄』について、あたかも初めて読んでいたかのように書きましたが、じつは去年の8月に読んでいたというメモが見つかりました。

 

そのころは、東京の凸凹地形に興味があって、そこで荷風にたどり着いたのです。

以下、そのメモをそのまま掲載することにします。

 

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東京の微高地を歩くものにとってのバイブルの位置にあるとされているのが、永井荷風の『日和下駄』です。

このたび『日和下駄』を読んだのですが、想像したのよりはるかに多くの情報を得ることができました。
さすが荷風で、文豪がどんなところに目をつけ、なにを見て、どう感じたかが伝わってくる内容でした。

1915(大正4年)に出版されたのですが、荷風は序で以下のように記しています。

「ここにかく寄稿の年月をあきらかにしたるは、この書版成りて世に出でん頃には、篇中記するところの市内の風景にして、すでに変化して跡形もなきところ少なからざらんことをおもえばなり」

維新後20年ほどで東京は変わりましたが、大正初期にはさらに明治初期の建築物、道路などがなくなって新しいものに建て替えられていた時代背景を述べているのです。


荷風は「人並みはづれて背が高いうえに、私はいつも日和下駄をはき手に蝙蝠傘をもって」歩いていたと、冒頭で述べています。

荷風はなぜ歩いたかー「これといってなすべき義務も責任も何もない、いわば隠居同様の身の上である。その日その日を送るに、なるたけ世間へ顔を出さず、仮名は使わず、相手を要せず、自分一人で勝手に呑気に暮らす方法をといろいろ考案した結果のひとつが市中のぶらぶら歩きとなったのである」

こんな風に動機を述べて、読者を煙に巻いています。

 

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『日和下駄』の構成は写真のようになっています。
水、坂、崖など町歩きの定番に加え、淫祀、樹、寺もあり、露地や空き地も観察しているのです。
ここに「夕日」があるのもいいですね。

 

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なぜ坂や崖地を歩くのかー
「坂はすなわち平地に生じた波瀾である。平坦なる大通りは歩いて滑らず、つまづかず、車を走らせて安全無事、荷物を運ばせて賃金安しといえども、無聊に苦しむ閑人の散歩にはあまりに単調に過ぎる」

確かに平地を歩いていても、坂や崖を見るような変化は期待できません。
金もかからないので、リタイア後には格好の趣味であります。


どこを読んでも荷風独特の言い回しで面白かったのですが、とくに「崖」や「坂」は圧巻でした。よくも東京の各地を歩いているものだと感心するばかりです。
荷風が生まれた小石川の安藤坂近くに、私も住んだことがありますので、そのあたりの描写はひとしおでした。


上野から日暮里、赤羽に至る線路沿いの崖について、よく知られている表現も出てきました。

「上野から道灌山飛鳥山へかけての高地の側面は崖の中でもっとも偉大なものであろう。神田川を限る御茶ノ水の絶壁は、もとより小赤壁の名があるくらいで、崖の最も絵画的なる実例とすべきものである」


この『日和下駄』は以前に読んだことがあると思っていましたが、それは間違いで、初めてでした。どうやら荷風が歩き回っている描写があった小説と混同していたようです。その小説が何であったかは、無論失念しました。

 

 

去年の8月のメモにはこのようにありました。

『日和下駄』を今回読んだのは2度目でしたが、1年以内に読んだ本を忘れることは、ざらにあることで驚きません。

 

去年の8月には、今度はいつ上京しようか、その時にはどこを歩いてみようかなどと思いめぐらせていました。

しかし緊急事態宣言がでている現在は、どうすることもできません。

こんな楽しみができるのはいつの日になるだろと、希望を持ちつつ耐えるしかありません。

外出しないこと、これがコロナウイルスに抵抗して高齢者ができる唯一の対抗策です。