一番の近道は普通一番悪い道だ
北國新聞には「きょうの言葉」というコラムがあり、書評家の細谷正充が担当していたことがあります。
国内外、東西の書籍から、これはと思う言葉をとりあげて紹介するコーナーです。
ここに、つぎの言葉があり、まったく同感でした。
人生は道路のようなものだ。
一番の近道は普通一番悪い道だ。
フランシス・ベーコン
近道や抜け道があると思えば、そちらに進みがちだ。しかし、それは悪い道。きちんとした実力が身につかなかったり、周囲のひんしゅくを買ったりと結果的には損をしてしまう。
ひたすら努力を積み重ね、黙々と遠い道を歩いていくのが、もっとも堅実だ。この方法で生き方を続けるなら、誰に恥じることもなく、心が穏やかでいられる。
細谷はこのように解説していましたが、その通りだと思いました。
ベーコンの言葉には全面的に共感します。
じつはベーコンの言葉を見て、私は論語を思い浮かべたのです。
行不由径
(行くに径[こみち]によらず)
「常に大通りを通って、抜け道などはしない」という意味で、ベーコンの言葉とよく似かよっています。
論語のこの部分には、この後があって、公務のとき以外は上役に近づかないという人物としての公正さに言及し、行為についての厳しさのも言及しています。
ここには生き方はこうあるべきだといった潔さのようなものが感じられます。
人生で裏道・抜け道・近道を好む人物はいるものです。自分にもあったかもしれません。そんなとき、人生は常に大道を行きなさいと、さとしているように思えます。
きっとベーコンも、そうしたことを言っているのでしょう。
洋の東西、今回のように同じような意味の金言があって、その一方を知っていて、今のようにもうひとつを示されると、やっぱりそうだろうと、なぜかうれしくなることがあります。
人生、これからも「行くにこみちによらず」、裏道・抜け道などしないで、きっぱりと大通りを歩いていこう、それが一番スッキリした生き方だと、あらためて思ったものです。