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金沢と『三州奇談』の雑記帳   ki-dan.com

荷風のぶらぶら歩き

荷風のぶらぶら歩き

 

永井荷風の『断腸亭日乗』を読もうとして、その最初の巻を借りてきましたが、毎日の日記がぎっしりと詰まっており、またその膨大な量に圧倒されました。
断念するほかありませんでした。

 

そのかわり『日和下駄』を借りてきて、読んでいます。
散歩が好きだった荷風が、なにを思って歩いていたかに興味がありました。

 

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荷風はここで、こんなことをいっています。

20世紀初頭のフランスの記者は、「なすべき仕事がないからやむを得ず散歩をしたのではなく、自ら進んで観察しようと企てたのだ」。

 

(これに対し荷風は)
「別にこれといってなすべき義務も責任も何にもない、いわば隠居同様の身の上である。その日その日を送るに成りたけ世間へ顔を出さず金を使わず、相手を要せず、自分一人で勝手に呑気に暮らす方法をと、いろいろ考案した結果の一つが、市中のぶらぶら歩きとなったのである」

 

荷風は、自分の散歩について、さらにこんな風にいっています。

「私は表通りの片側を歩くとき、後ろから勢いよく襲い過ぎる自動車の響きに狼狽して、日の当たらない裏通りへ逃げ込み、そして人に遅れてよろよろ歩み行くところに、私だけのいうに言われぬ興味とともに苦しみ、また得意とともに悲哀を見出すのである」。

まさに老人趣味の荷風の面目躍如たるところがあります。

 

私も、何かを目当てにしてガツガツ歩くのではなく、こんな風に歩いてみたいものだ、求めていたのはこんなことだったのかと思ったことでした。

 

 

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荷風はそうはいいつつ、好もしい散歩の目的のようなものをもっていたのです。

それは『日和下駄』では、「淫祠」、「樹」、「地図」、「寺」、「水」、「露地」、「空地」、「崖」、「坂」、「夕陽」などで、それぞれ項目をつくって述べています。

こうしてみると、私もだいたいそのようなものに関心を持ちつつ歩いていたことに気づかされました。

 

無目的の、老人のぶらぶら歩きではなく、そこにはおのずから、自らが求めている好もしいものが潜在しているのです。

 

『日和下駄』を半分くらい読んだところです。量的には少ないので間もなく読み終えることができそうです。

荷風は、まれに少しだけ読んできましたが、どこか惹かれるところがありました。

 

そんななかでも、この『日和下駄』で荷風が指し示す視点は、私がぼんやりと眺めてきたものについて、その意味を具体的に示してくれるようなところがあるように思えます。

「淫祠」、「樹」、「地図」、「寺」、「水」、「露地」、「空地」、「崖」、「坂」、「夕陽」などは、しかも東京のそれは、すべて魅力ある観察の対象です。