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新奇談の犬たち 「家狗の霊妙」(『三州奇談』)その4 導き犬

新奇談の犬たち 「家狗の霊妙」(『三州奇談』)その4 導き犬

 

 

「家狗の霊妙」のなかから、災害を予知し主人を救った犬をみてきましたが、犬の話はこの後三つ続きます。
今度は、手取川の白犬の話です。

 

享保(一七四一~四三)の頃、金沢から京都に通っていた男が手取川の河原を通ったとき、白犬の咽喉に刺さった骨をとってやったところ、男がそこを通るたびごとにあらわれ、荒れ川の危険な河原を犬が案内したのです。ここには導き犬のイメージがあります。

 

加賀平野の中央を流れる手取川は近世、水勢のおもむくままに氾濫していました。
藩政前期の手取川は現在とは異なり、一筋ではなく、いく筋もの流れがあったのです。

 

ある時期から、それらは南川と北川に大きく二つに分流され、現在の川北町はその間にあり氾濫原であったと考えられています。のち川筋は徐々に北川から南川(現流)に転じて、合流して行ったのです(『川北町史』)。

 

そんなわけで、ここは大変な難所であったのです。
天明二年(一七八二)から六年間、医師で文人の橘南谿は日本国内を旅し、『東西遊記』として諸国の地理・風俗・奇譚を伝えましたが、その『東遊記』の「手取川の風雪」に、当時の川のようすが述べられています。

 

  極月十二日(略)粟生という所へ来たれるに(略)、粟生と水島との間に手
  取川という大河ありて、河原の幅一里、其中に七筋八筋の川流れたり。千
  辛万苦して既に河原を八分斗り来たる程に、手足も働きかね舌も動き難し。
  (略)コロバ(木呂場)の亭主いうは、此川原にては旅の人毎年一両度ず
  つは吹雪に倒るることあり。今日は幸いによみがえりて目出たしと云う。

 

河原の幅が四キロ、そこに七八筋の川が流れる手取川を渡りきるのは、並大抵のことではなく、命を落とすこともありました。源平合戦のことから大変な難所であり、魔所の趣があったのです。

 

ここに棲む白犬はのどに刺さった骨をとってもらったお礼に、男が無事に旅の難所である手取川を越せるよう付添い、導いて行ったというのです。

 

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これと似た話があります。


大和武尊が山中で道に迷った時、白犬が導いたという伝説があり(『日本紀』)、また弘法大師が高野山を開く時、二匹の犬が道案内をした話もあります。内容は異なっていますが、手取川の白犬も、これらと同じ導き犬の伝承とみなしてよいでしょう。

 


ここには、ちょっと都会の空気が入りこんでいます。
男が犬の骨を抜いた後に、口中の傷を治すために「懐中の兼康(かねやす)みがき砂をぬり付け」て、やったのです。

江戸時代前期、江戸に兼康友悦という歯医者がいました。歯科医のかたわら、元和三年(一六一七)江戸本郷に店をだし、歯磨き粉を処方し、歯痛の薬も売っていた店です。現在は、同じ場所で洋品店をしており、「本郷も兼康までは江戸の内」などともいわれた有名な店だったのです 。京通いの男は、さすがにしゃれた薬をもっていたものです。
 
手取川の導き犬には、江戸の空気も入っていたのです。このあとは、その5に続きます。