毎年暮れになるとちゃんとつけようと日記帳を買って、元旦、2日3日とまじめに日記をつけているうち松の内が過ぎて行って、簡潔になりやがて空白が目立つようになり、そのままやめてしまう。
これは私のことではありません、作家の五木寛之が地元紙・北國新聞の「新地図のない旅」で書いていることなのです。
ここ数年は五木寛之のエッセーが好きになって、週一の火曜日を楽しみにしています。
五木はここで、几帳面に日記をつけていた中世の貴族たちや切実な「アンネの日記」、永井荷風の日記などにふれながら語っています。
そして、最近は暮れに日記を買うこともしなくなったと述べた後に、こんなことをいっています。
考えてみれば、あと数年で90歳。100年人生とかいう未知の時代にどうたちむかえばいいのか、見当もつかないまま無為に日を過ごすのはもったいないような気がしないでもない、ひとつ、最晩年の日々をドキュメントとして書き残しておくのも面白いかもしれない。
よし、90歳になったら日記をつけるぞ、と、今年も当てにならない誓いを新たにした正月だった。
あてにならない誓いを立てるところは凡人も同じだが、「最晩年の日々のドキュメント」というところは、なかなか迫力がある、凡夫の思考ではないな、と思ってしまいました。
あてにならないなどといわないで、五木寛之には今年から是非とも日記を続けて欲しいと思ってしまいます。
できれば、ブログ版の日記に登場してもらえればなどと妄想してしまいます。