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金沢と『三州奇談』の雑記帳   ki-dan.com

金沢に江戸時代の『三州奇談』 その2

2.『三州奇談』と柳田国男など

前回、『三州奇談』は金沢城下に生まれた堀麦水の編著によるものであることや、奇談の中に地名と年号が示されていることなどをみてきました。


さて、『三州奇談』の編著者・堀麦水はどういう人だったのでしょうか。

麦水の業績・才能について、『石川県史』の「国学」の項目には次のように書かれています。

「宝暦・明和を中心として堀麦水あり。奇才縦横行く所として可ならざるはなく(略)蓋し加賀藩に於けるこの種の作者中前後にその比を見ること能はず」。


同書の「俳諧」でも、加賀千代女と比較し、「世人の評価以上に手腕を有したるは樗庵麦水なり」として、麦水の多才・多芸を評価しています。

麦水は、それらのなかでも『三州奇談』の編纂で、その「奇才縦横」ぶりを十二分に発揮したということができるでしょう。


つぎに『三州奇談』が、これまでどのように読まれてきたのかをみておきます。


まず柳田国男です。

「熊谷弥惣左衛門の話」(『一目小僧その他』)には、

「話は吾々が尊敬する泉鏡花氏の御郷里から始まります。加賀国は鏡花門徒の吾々にとって、また一個のエルサレムの如き感があり(略)「三州奇談」といふ一書がある」としています。

鏡花の名前が出てきますが、彼はこの書を愛読し、多大な影響を受けました。


じつは柳田は、田山花袋とともに『校訂近世奇談全集』(博文館1909)の編纂にあたっており、『新著聞集』、『老媼茶話』、『想山著聞奇集』とともにそこに『三州奇談』がおさめられているのです。


柳田は『新著聞集』を評価する半面、『三州奇談』は嘘と知りつつ(怪談を)話しているところがみえるとして、すこし批判的でもあります。


これはさきの日置の見方とは異なっていますが、柳田はその著作に、金沢浅野神社の稲荷をはじめとして、『三州奇談』からいくつかの話をとりあげているのです。


物語に虚構があるのは、麦水が近世の世界をすこし覚めた目でみていたため、怪異現象について、近代に近い感覚をもっていたためかもしれません。


それゆえ、怪異を盲信せず、虚実をみきわめつつ書き留めたことによるのかもしれません。そのさじ加減があるがゆえに、『三州奇談』を読み解いてゆく面白さが増した面があると思います。


『三州奇談』については、稲田篤信・堤邦彦の詳しい論考があります。

また民俗学歴史学の見地には、金沢の小倉学「浅野の稲荷」があります(『加賀・能登の民俗』小倉学著作集瑞木書房2005)。同氏の民俗学の著書は、本書を読む際の貴重な参考文献となるでしょう。


『三州奇談』のこれまでの研究の多くは文学、それも鏡花研究者によりなされています。

次回の、3回目はそれをみてゆくこととします。