新年は神社か寺院に初詣にでかけるという習慣は、根強いものがあります。
私も近所の氏神へ参拝しました。
信仰に厚いわけではありませんが、若いころから神仏には親しみを感じています。
神仏といえば、若いころから奈良の仏像を拝観する旅を続けています。
高校のころから現在まで、何に1度以上は訪ねています。
きっかけは和辻哲郎の『古寺巡礼』を読んだことです。
さらに高校の担任の教師も後押ししてくれました。
宿は近鉄奈良駅から東へ、登大路の道をだらだらと登っていって10分ほどの左側のしもた屋風の家でした。向かい側は奈良博です。
そこは古寺巡礼の拠点として知られており、広津和郎など多くの文人も利用していたところ、日吉館です。
名物女将がいて、数多くの宿泊客の世話をてきぱきとしていました。
そのころは一番年下の客で「金沢の坊や」などといわれて、面倒を見てもらいました。
そのころはどの寺もいかめしい入口などはなく、拝観料を払えば人気のない本堂で心行くまで仏像を拝観できたものです。
特に堂内が暗い寺には、仏像を見るための懐中電灯が置いてありました。
はじめのころからカメラを持ち歩いていましたが、もちろん仏像や堂内の撮影は禁止でした。現在のデジタルカメラはある程度暗くても撮れますが、当時はストロボをたかなければならず、そんなことはさすがにできません。
そのため仏像をはっきり見たり、記念にしたり、後ろなど異なった角度から見るときは、モノクロの写真を買ったものです。
日吉館の横に飛鳥園という写真を扱う店があり、そこで入江泰吉の写真を求めたものです。はがき大とか四つ切などいろんなサイズがありました。
一緒に行った友人も求めましたが、好みがあって、みな違った仏像の写真を買っていたのが記憶に残っています。
私は法華寺の十一面観音でした。当時から阿修羅の写真は人気がありました。
新薬師寺の十二神将のうちの伐折羅大将もスターでした。
それにつけても、何とか仏像の写真を自分で撮りたいと思う気持ちが強くあったことを記憶しています。それには入江泰吉や土門拳に弟子入りするしかなかったのかもしれませんが、それほどの志はありませんでした。
国宝の仏像の写真を自分で撮りたいとの願いは、心のなかのどこかに継続した残っていましたが、3年前にそれに準じる体験をすることができたのです。
今日のブログにアップしているのは法隆寺の金堂にある釈迦三尊像です。
私が撮影しました。本物と寸分違いません。
これは、東京芸大と高岡銅器組合が協力して、現物のコピーを制作したものです。
電車で、富山県の高岡まで行ってきました。
そこで心ゆくまで写真を撮ることができました。勿論、後ろからとることもできました。手で触ってもいいということでしたが、それはしませんでした。
釈迦三尊は、本物同様のように年代を経た色がつけてありました。
スポットがあたる中、空中に浮かんでいるような三尊像は、何とも言えない夢幻のような、ありがたい雰囲気を漂わせていました。
古寺巡礼少年の思いは、こうしたことで達成されたのです。
宝物のような写真になりました。
この釈迦三尊像は、現在はどこに保管されているのでしょうか。
機会があったら、もういちど撮影してみたいものです。
今年の正月は、こうして奈良の仏たちのことを思い浮かべて過ごしました。