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金沢と『三州奇談』の雑記帳   ki-dan.com

海を見下ろす前方後円墳 神戸「五色塚古墳」

今年は東京に1度、関西に2度旅をしましたが、そのなかでは神戸市垂水の五色塚古墳は、文句なく素晴らしいところでした。

 

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百舌鳥古墳群に行った次の日に五色塚を訪ねました。
上本町のホテルからは、電車を乗り継いで1時間半ほどかかりました。

 

久々に六甲の山並みを眺めながらの車窓は退屈しませんでした。
大阪転勤で芦屋に3年ほど住んでいたのです。

三宮で乗り換えた電車は、須磨から海岸からすぐ近くを走ります。そこからは間もなく垂水駅につきました。

 

駅から古墳までは歩いて10分とありましたが、海岸には山が迫っており、タクシーを利用しました。5分くらいで着きましたが、のぼりがきつい道路があり乗って正解でした。

 

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五色塚古墳のロケーションは最高でした。


瀬戸内海、明石大橋を間近にした開けた風景を見下ろす山裾にあって、太陽をいっぱいに浴びていました。行き交う船がすぐそこに見えました。


古墳は全体が復元されており、前方後円墳のすべてが、当初のように葺石で覆われていました。

 

古墳というと気で覆われた小さな山を思い浮かべますが、ここは木は生えていないので、すっきりとした形でした。これが本来の前方後円墳の姿だということです。

 

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全長は約200メートルで、兵庫県で一番大きな前方後円墳です。
百舌鳥の大山古墳は500メートルを超す大きさがあり、それに比べると小さいのですが、すぐ横にある70メートルの古墳がそれがとても小さく見えました。

 

パンフレットによると、
「4世紀の終わり頃、この古墳に葬られた人は、明石海峡とその周辺を支配した豪族だと考えられます」とありました。
膿からは大きく見えるので、海峡を通る船舶に、その力を誇示していたのでしょう。

 


この古墳も第2次大戦の影響を受けています。
古墳に生えていた松を切り船材としたり、戦後は畑として開墾されたりして荒廃していたとのことです。
昭和30年代後半に文化財保護委員会が計画を立て、昭和40年から10年をかけて復元されたのです。


古墳には私のほかに2人しかいませんでした。
後円の山にあたる部分でその2人の30代の人に声をかけられ、古墳のことや金沢から来たことを話しました。
別れ際に、そっとパンフレットを渡されましたが、モルモン教についてのことが書いてありました。感じのいい人たちでした。

 

帰りは駅まで下りなので、歩きました。
昼過ぎの駅周辺の商店街はたいそう活気がありました。
昼食に入った小ぎれいな店のランチには満足しました。
鯛の味噌漬けがついて900円、その時の旅では一番のごちそうでした。

こんな具合で、今年の旅で五色塚古墳は一番印象に残ったところでした。

 

 五色塚古墳は帰ってから年末までに、テレビの番組で3度ほどとりあげられていました。
私にとっては、これまでの古墳のイメージを一転させてくれる、明るく開放的な風景でした。